「バレましたか!」
- 顧客名簿の大切さ
どんな仕事でもお客さんがいなければ成立しないですね。
だから、社員が会社から離れて同業者として独立する場合に、てっとりばやいのが「顧客名簿」の持ち出しです。
持ち出して、前職のお客さんに電話をかけまくります。
「今度、独立したのでよろしく。もちろんあちらより安いですよ。」と。
お客さんの名前だけではなく、商品やサービスの原価も知っているからこれは強いです。
- けしからん!
ある人材派遣会社の経営陣が4人ほどおいでになりました。
人材派遣の会社は大小を含めてたくさんあります。
だから、どんな業種でも派遣します、では勝負にならない。
そこである業種に特定して売り上げを伸ばしていました。
ところが最近になって幹部の4、5人が一度に退社した、そして同じ分野に特定した同業者としてこれまでのお客をターゲットとして売り出しにかかった、というのです。
転職はもとより自由のはず。
しかし社長としては手取り足取り教育してゼロから一人前に育てた、という自負があります。
そこまで育てた主要人物が、数人の幹部を引き連れて独立しただけでも激怒したいのに、なんとわが社のお客さんを勧誘しているのです。
中心人物の退社だから、会社の経営には穴が開くは、売り上げは落ちるは、では、これは「許せない!」と憤然とするのも無理はないでしょう。
- 不正競争
営業秘密を不正に取得する行為は不正競争防止法で禁じられています。われわれ特許事務所が扱うのは、営業秘密のうちで技術に関するものなので、顧客名簿のような種類の営業秘密は対象外です。
しかし私は早くから米国の判例や実例などを集めて「トレードシークレット」に関する本を数冊、出版しており、不正競争防止法の改正の際には「産業構造審議会」の小委員会の委員に任命されて改正案の作成に参加したこともあるので、時々そんな相談を受けます。
実際に、退職した社員を訴えることは弁護士さんに依頼するとして、事前に可能性を探っておきたい、ということでした。
そこで顧客名簿の持ち出しなどについて、具体的なケースをいくつかあげて、どこまでが許され、どこからが違法か、といった説明をしました。
そのたびに皆さんが「今回のやり口はそのケースにピッタリです。」「まったくけしからん!」「訴えよう!」「これからのこともあるし」と口々にいわれます。
- 叩いておかないと
このように社長をはじめ、幹部全員が顔を紅潮させて盛り上がっています。
みなさん、よほど腹に据えかねる、という思いがあったのでしょう。(「あいつうまくやりやがった」という妬みも?)
確かにこの業界は、他の業種と比べて独立がしやすいようです。
例えば製造業では、まず土地を買って工場を建て、工作機械をそろえて、資材を購入して・・・といった大きな投資が必要です。
それと比べると、人材派遣の会社なら大した設備は不要。
だから数年してノウハウを身につければ、あとは顧客名簿さえ使えばいきなり営業を開始できそうです。(本当はそんなに簡単ではないようですが)
そのような理由から、いま在籍している社員への見せしめとしても、今回の人物を叩いておく必要がある、という、将来に向けた大きな価値もあるようでした。 - 盛り上がったときに一言
皆さんが仲間どうしで盛り上がっている間、黙って聞いていました。
しかしその時に気が付きました。
現在の会社はどうやってスタートしたのだろう?と。
そこで、ひとこと尋ねました。
「ところで、現在の御社はゼロからのスタートですか?」と。
その途端に盛り上がっていた皆さんが、ピタッと会話をやめました。
ハッとわれに返って一瞬の静寂です。
その次にはみなさん、椅子に身を沈めまてしまいました。
急にそれまでの勢いがなくなったのです。
なぜか?
実はみなさんは、以前は同じ人材派遣の会社で幹部として働いていた仲間だったのです。
そこでノウハウを身に着け、数人で語らって退社し、以前の会社と同じ業種でスタートさせたのでした。
以前の顧客の横取り(?)もやったようです。
今回のケースとまったく同じだったのですね。 - 訴えたらどうなる?
そんな状況にあって、今回の人物を訴えたらどうなるでしょう?
彼らは必ず反論するでしょう。
「あんたたちも同じじゃないか。私を営業秘密のドロボーというなら、あなたたちもドロボーだ!」「その実情をバラしましょうか?」
これでは振り上げたコブシのもって行き場がないですね。
来所された時の勢いはどこへやら、みなさん肩を落として帰られました。
我々の仕事では、依頼者が話したくないことまで根ほり葉掘り聞き出す、そして無用な争いを事前に抑える、それも大切なことだなぁ、としみじみ感じたのでした。