「無効」が明らかな特許権の扱い キルビー特許事件
最高裁:平成10年(オ)第364号 |
キルビー特許とは
広く知られた「キルビー特許」とは、発明者であるキルビー氏の名前に由来します。
下記の公告公報が問題の特許ですが、発明者の名前に「ジャック セントクレア キルビイ」として住所も明記してあります。
ただ話題の大きさに比較して公報は4頁の短いもので、あれ?という感じもしますが。
特許権の背景
さて争いの根拠となる本件特許には問題がありました。
1)原出願の発明と同じ
まず本件特許はある出願(原出願)の分割なのですが、それはいいとして、原出願の発明と本件発明とは「実質的に同一」であると判断されるものでした。
2)原出願は拒絶に
ところで分割の親となった原出願は、拒絶されていました。
理由は、原出願の発明は「公知の発明に基づいて容易に発明することができるもの」と判断されたからでした。
原発明が公知発明から容易に発明できたとすれば、それと「実質的に同一」である本件発明も拒絶されるはずです。
しかし実質的に同一という判断は後に分かったことであって、審査、審判の段階では表現の違いもあって、上記の公報にあるように特許されたのでした。
高裁の判決
最高裁は、東京高裁の判決を支持して上告を棄却したのですが、そこに至るまでの東京高裁の判決は次のようなものでした。
1)後願として拒絶されるもの
分割出願は、これが原出願の適法な分割出願であるなら、原出願の時にされたものとみなされる。
しかし本件出願は、原発明と同一の発明であるから分割出願として不適法であり、原発明と同一の発明について、原発明に後れて出願したものとなる。
そうであれば特許法39条1項(先願と同一の後願は拒絶する)の規定により無効とされる蓋然性が極めて高いものである。
2)発明容易として拒絶されるもの
ところで原発明は、「公知の発明に基づいて容易に発明することができたもの」として拒絶査定が確定している。
この原発明と実質的に同一である本件特許は、この点においても無効理由が内在するものといわなければならない。
3)権利の濫用
このような無効とされる蓋然性が極めて高い本件特許権に基づいて第三者に対し権利を行使することは、権利の濫用として許されるべきことではない。
上告の理由
以上の高裁の判断を不服として上告した特許権者の言い分は次のようなものでした。
上記の1、2の各判断の違法である、と主張するとともに、特に上記と3の判断(権利の濫用)について次のように強調しました。
特許権侵害訴訟においては、特許権を有効なものとみなして対象物件が技術的範囲に属するか否かを判断すべきである。
それにもかかわらず、本件特許権を実質上無効とする判断を行った原判決には、法令違反、審理不尽及び理由不備の違法がある、と。
最高裁の判断
以上の上告の理由に対して最高裁は次のように判断しました。
1)後願は拒絶される
まず先願である原出願と、後願である本件出願についての検討です。
先願の特許出願につき拒絶査定が確定したとしても、その特許出願が先願としての地位を失うものではないから本件出願は特許法39条1項により拒絶されるべきものである。
2)無効理由がある
原出願は、公知の発明に基づいて容易に発明することができることを理由として拒絶査定が確定している。
本件発明は、原発明と実質的に同一の発明である。
そうであれば本件特許は同じ理由で、同法29条2項に違反してされたものである。
したがって、本件特許には無効理由(同法123条1項2号)が存在することは明らかであり、訂正審判の請求がされているなど特段の事情を認めるに足りないから、無効とされることが確実に予見される。
権利の濫用について
次に、これが本件の中心テーマである権利の濫用について検討しました。
1)無効審判の意義
まず無効審判について次のように判断しました。
特許法は、特許に無効理由が存在する場合に、これを無効とするためには専門的知識経験を有する特許庁の審判官の審判によることとし、そこでの無効審決が確定することで、特許権が初めから存在しなかったものとみなすものとしている。
したがって、特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存続するものであって、対世的に無効とされるわけではない。
2)無効理由が明らかな場合は
しかし本件特許のように、特許に無効理由が存在することが明らかであって、もし無効審判請求がされた場合には無効とされることが確実に予見される場合がある。
そのような場合にも、その特許権に基づく差止めや損害賠償等の請求が許されると解することは、次の諸点にかんがみ、相当ではない。
- このような特許権に基づいて実施行為の差止めや損害賠償等を請求することを容認することは、実質的に見て、特許権者に不当な利益を与え、その発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので、衡平の理念に反する結果となる。
- 紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましいものである。
その点、上記のような特許権に基づく侵害訴訟において、まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければその特許に無効理由の存在することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないとすることは、特許の対世的な無効までも求める意思のない当事者に無効審判の手続を強いることとなり訴訟経済にも反する。 - 特許法168条2項(無効審判が請求された場合、必要があると認めるときには、裁判所は自ら判断することなく、審判の継続中には訴訟を中止する制度)は、特許に無効理由が存在することが明らかであって前記のとおり無効とされることが確実に予見される場合においてまで訴訟手続を中止すべき旨を規定したものと解することはできない。
3)結論
したがって、特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、その特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきである。
そして審理の結果、当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。
このように解しても特許制度の趣旨に反するものとはいえない。
過去の判例のうちで、上記の見解と異なる判例は、以上と抵触する限度において、いずれもこれを変更すべきである。
4)本件の場合
上記の検討から、本件特許には無効理由が存在することが明らかであり、訂正審判の請求がされているなど特段の事情を認めるに足りない、としました。
そうであれば、本件特許権に基づく損害賠償請求が権利の濫用に当たり許されない。
そのように判断した東京高裁の判断は、正当として是認することができる、と判断しました。
この判決の影響
この判決を受けて、特許法が改正されました。(特許法104条の3第1項)
そこでは、特許訴訟においてその特許が無効審判により無効にされるべきものと認められるときは、特許権者(または専用実施権者)は、相手方に対しその権利を行使することができない、と規定しています。
特許権がまだ存在するのに、権利行使ができないのです。
しかも本件の判決では「その特許に無効理由が存在することが「明らか」であるときは、」と明白性が要件とされたのですが、改正法では「明白性」は要求されていません。
判例と比較すると、訴えられた側にさらに有利な規定となっているのです。