パラメータ特許事件(偏光フィルム事件)

偏光フィルムとは
この事件は、「偏光フィルムの製造法」の特許性の有無が争われた事件です。

ところで偏光フィルムとはどんなものでしょう。
例えば縦方向だけに微細な線を平行に描いたフィルムです。自然光は、縦波だけが通過でき、横波の通過は阻止されます。光の波を一定方向に揃えるのです。
例えば3Dテレビに採用されています。テレビ側の偏光フィルターとメガネ側の偏光フィルターの組み合わせで、左眼用と右眼用の映像を同時にそれぞれの眼に届けることで立体的に映像を見せる仕組みだそうです。

請求項の記載
そのような用途を持つ本件の発明は審査を経ていったんは特許になりました。(特許3.327.423)
その特許の請求項1は次のように記載してありました。

ポリビニルアルコール系原反フィルムを一軸延伸して偏光フィルムを製造するに当たり、原反フィルムとして厚みが30~100μmであり、かつ、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が下式で示される範囲であるポリビニルアルコール系フィルムを用い・・・(中略)

   Y > -0.0667 × + 6.73   ・・・・(I)
   X ≧ 65             ・・・・(II)

但し、
X:2cm×2cmのフィルム片の熱水中での完溶温度(℃)
Y:20℃の恒温水槽中に、10cm×10cmのフィルム片を15分間浸漬し膨潤させた後、・・・(以下略)

このような、加工条件を特定の範囲に限定したものをパラメータ特許といっています。

詳細な説明の記載
この発明の明細書は、請求項を除くと実質で3頁の短いもので、添付図面もグラフの記載もなく、パラメータを裏付ける記載は、発明の詳細な説明の下記の部分でした。

この記載は、請求項の数式(I)と(II)を満たす点が2点、満たさない点が2点存在する、といっているにすぎません。
そして上記の数式がどのように導かれたかの説明がなく、いきなり「XYの関係が式で示されるポリビニルカルコール系フィルムを用いる」と記載してあるだけでした。[0008][0012]

特許異議申し立て
上記のように本願発明は、いったんは特許になりました。
しかしその後に第三者から特許異議申し立てがあり、特許を取り消す、という決定がなされました。

データの後出し
異議申し立てに反論する段階で、特許権者は始めて図面を提出しました。
それは出願前に行った実験のデータを実験成績証明書としたものです。
それなら出願時に出せばよかったはずですが、それはさておきこのデータは実施例を補足するものであって、実施例の新たな追加ではない、とのことでした。
それが下図ですが、白丸2点と、黒丸2点以外の10点は新たなデータということになりなりますね。

特許庁の決定
特許庁はこの後出しのデータを考慮せず、次のように審理して取消の決定をしました。

  1. まず「請求項」の記載と「発明の詳細な説明」との記載の関係について検討しました。

これらの二式が規定する範囲は広範囲に及ぶものであり、この数式を満たすものがすべて偏光性能及び耐久性能が優れた効果を奏するとの心証を得るには実施例が十分ではない。
他に本件明細書の記載及び当該分野の技術常識に照らしても、二式を満足するものが上記の優れた効果を奏するとの確証を得られない。
上記二式がどのようにして導き出されたのか、その根拠、理由が不明である。
結局、「特許を受けようとする発明(請求項記載の発明のこと)」が、「発明の詳細な説明」に記載されたものとは認めることはできない。

  1. 次に「発明の詳細な説明」に、実施可能な程度に十分な記載があるか、について検討しました。

請求項1に規定する二式が満たす範囲は広範囲に及ぶ。
ところがどのような製造条件(PVAの重合度、乾燥基材、乾燥温度、乾燥時間等)であれば上記二式を満たし、かつ偏光性能及び耐久性能が優れたフィルムが得られるのか、発明の詳細な説明を参酌しても不明りょうである。
すると、発明の詳細な説明は、当業者が容易にその実施をすることができる程度にその発明の目的、構成及び効果が記載されたものとは認められない。

  1. 以上の検討から、所定の要件を満たしていないこの特許出願は取り消されるべきものである、という特許庁の結論でした。

この取消に不服で特許権者は知財高裁で争ったのが本件です。


知財高裁の判断

  1. サポート要件を満たしているか?
    知財高裁でも特許庁の決定を支持しました。
    まず本件の出願時の明細書の記載の問題です。
    「特許請求の範囲」に記載した発明が、出願時の明細書の「発明の詳細な説明」にちゃんと記載してあったか、という要件(サポート要件)を検討しました。
    なぜ、サポート要件が必要なのでしょう。
    それは「発明の詳細な説明」に記載していない発明を「特許請求の範囲」に記載すると、公開されていない発明について独占的、排他的な権利が発生することになります。すると一般公衆からその自由利用の利益を奪い、ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ、特許制度の趣旨に反することになる、という理由です。
    判決文でもまず最初にこの点を確認しています。
  2. 本件の出願時の記載は?
    本件の出願時の明細書の記載を基礎にして、サポート要件について裁判所は次のように判断しました。
    本件の「発明の詳細な説明」に記載された事項及び本件出願時の技術常識からは、二式で示される範囲を画定することが可能であることを当業者において認識することができない。
    だから「発明の詳細な説明」には、「特許請求の範囲」に記載したXとYとの関係が二式で示される範囲にある製造法の発明が記載されているということはできない。
    このように本件の場合には、特許請求の範囲に記載する発明が、出願時の「発明の詳細な説明」に記載されていない、と判断しました。
  3. 後出しデータを無視した
    前記したように本件では、異議申し立ての審理の段階で図1を提出しています。
    特許権者は、この後出しのデータでサポート要件を充足したはずなのに特許庁の審理の段階で無視された、として次のように主張しました。

後出しデータの無視について。

決定の判断は、審理の段階で10点の実験データを記載した実験成績証明書を提出したにもかかわらず、これをまったく考慮せず、実施例1、2の2点の合計4点のみを基として、これら4点以外の実験データがないことを前提になされたものであり、誤りである。

出願時の審査基準については、パラメータ発明に関する審査基準がたびたび改正されたことを受けて、

明細書の記載要件は、時代とともに変遷しており、少なくとも本件出願時においては、パラメータ発明の特許出願については、明細書に実施例の根拠となるすべての実験データを記載することは要求されていなかった。

審査基準の遡及については、

本件明細書が記載要件を具備しているか否かについては、審査の段階ではまったく問題にならなかった。
それなのに、本件出願後に定められた、明細書の記載要件に関する審査基準を遡及して適用して、本件出願を記載不備のみを理由として取り消すことは許されない。

ここで「審査基準の遡及」とはなにか。
前記の特許権者の主張のように、本件を出願した時代の「審査基準」では、パラメータ特許の場合に、すべての実験データを記載することは明記されていなかったのです。だから審査の段階ではこの点が全く問題にならなかった。
その後に審査基準の表現が変わった。
その変更後の審査基準を遡及して適用し、本件特許を明細書の記載不備のみを理由として取り消すことは極めて不合理で許されない、という意味です。


後出しに対する判断
特許権者の反論のうち、データの後出しについて裁判所は次のように判断しています。

出願後に実験データを提出して、詳細な説明の内容を記載していなかった事項を補足し、その結果、明細書のサポート要件に適合させることは、発明の公開を前提に特許を付与するという制度の趣旨に反して許されない。
・・・
これを本件についてみると、XとYとの関係を、出願後になって開示するものにほかならず、許されないというべきである。

このように実験データの後出しでサポート要件を充足することは認められない、ということでした。


審査基準の遡及は?
次は審査基準の遡及の問題ですが、まず審査基準の性格を明確にしました。
すなわちこの基準は、審査官にとっての基本的な考え方を示すもので、出願人にとっても指標として広く利用されている、としてその実情を認めました。
しかしその前提に立っても、これはあくまで特許庁の判断の公平性、合理性を担保する目的で作成された基準であり、法規範ではない、と明言しました。
法規範ではないのだから、本件の審査の段階で解釈内容が具体的に基準として定められていたか否かは、上記解釈を左右するものではない、というのです。
その上で、審査基準の改定があっても、その趣旨は以前の趣旨に沿うものだから、あたかも遡及適用したのと同様の結果になるとしても、違憲の問題は生じない、と判断したのでした。